「あなた、忘れ物よ。」
玄関を出ようとしたとき、妻の声が響く。
私は妻から弁当と、そしてバールを受け取り、弁当を鞄に、バールを片手に駅へと急いだ。
周りの人にバールが当たらないように気を付けながら、満員電車に乗り込んで、いつも通り会社近くの駅に降りると、いつの間にか雨が降っている。
傘を持ってきておけば良かった。
そんなことを思いながら、私は仕方なく、バールを傘のように持ち、さもそれで雨を凌げているかのような顔をして会社へと歩き出した。
その途中、高校生の男女が普通の傘を差しながら、二人で仲良く私の前を歩いていた。
私はそれを見て、ふと自分の高校生のときを思い出していた。
部活が終わり水道で顔を洗っていると、タオルを持っておらず顔がビショビショのままの私の元へ、一つ下の後輩である女子マネージャーがやって来た。
「よかったら、これ使ってください。」
そう言って、彼女は私にタオルを渡すように、バールを手渡した。
私は自分の服で顔を拭いて、躊躇いながらもそのバールを受け取った。
バールの直角の部分を見てみると、何やらメッセージが書いてある。
「このあと、体育館裏に来てください。」
そのメッセージを読んだ私は、しばらくして、バールを片手に、体育館裏へと足を延ばしたのだ。
そこには恥ずかしそうに立つ、先ほどの女子マネージャーがおり、後ろに手紙のようなものと、何やら金属製でL字型の棒のようなものを持っていた。
「ずっと好きでした!これ…受け取ってください!」
そう言って、私がそのラブレターであろう手紙と、バールであろう金属の棒を受け取ると、彼女は恥ずかしさに耐え切れなかったのか、走り去ってしまった。
私はその手紙を鞄の中にしまい込み、それぞれの手に持った二本のバールが自然とダウジングのようになりながらも、家路についた。
そういえば、そのときも今日のような雨が降ってきて、私は片方のバールを傘のよう持ち、さも濡れていないかのような顔をして、ビショビショになっていたような気がする。
思い出に浸っているうちに、いつのまにか会社の前まで来ていた。
夕方になり、私は早めに会社を出た。
仕事中に女子社員に何度かコーヒーを頼んだが、コーヒーではなくバールを渡されたため、帰りのバールの数は朝に妻から渡された分を入れて、三本に増えていた。
二本をそれぞれ両手に持ち、残りの一本をネギのように鞄に詰めて、私は家に帰る前に、馴染みのバーに寄ることにした。
「いつもの。」
私が二本のバールを傘立てに置き、席に着いてそう言うと、マスターは何も言わずにコクリと頷いて、私の前にスッとバールを差し出した。
そのあと、「いつもの。」で通じると思っていた私がいつも頼んでいるカクテルをちゃんと頼んで、それを一杯だけ飲むと、私は計四本になったバールを持って店を出た。
その夜、私はある夢を見た。
木こりである私が斧で木を切っていると、勢い余って斧を湖に落としてしまったのだ。
すると、その湖から女神が現れ、私にこう言う。
「あなたが落としたのはこの金のバールですか?それともこの銀のバールですか?」
私は必死にそれを否定する。
しかし意に反して、女神は「正直者のあなたには、あなたが落としたこの普通のバールと、金銀のバールの三本を差し上げましょう。」と言って、私にその三本のバールを押し付けると、湖の中へと消えて行き、夢の中で私はこう叫ぶのだった。
「もう…もうマジで…。マジでバールっていらねぇな!!」
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