2012年1月30日月曜日

シェフの心。

俺はなんて卑しい奴なんだろう。  

もうそんなことを思って最近落ち込んでる。 
 
この前、街でサラリーマンの人と肩ぶつかちゃって。 
 
自分が携帯いじりながら歩いてたのもあるんだろうけど、 それで凄い剣幕でガーって色々言われたもんだから、 
 
「もういいですよ!もう煮るなり焼くなり好きにしてくださいよ!」って言っちゃって。 
 
なんて卑しい奴なんだ俺は。 

「煮るなり焼くなり好きにしろ」ってなに自分を少し美味しく食べてもらおうとしてんだよ。 
 
まぁそのあとサラリーマンの人も「てめえ焼き殺すぞ!」って言って俺を美味しく食べる気満々だったけどさ。 
 
でもそのときハッと気付いて、そのときだけじゃなくて、もしかすると、今までも俺は自分を美味しく食べてもらおうとしてた卑しい奴だったんじゃないかって。 

あのときも、またあのときも美味しく食べてもらおうとしてたんじゃないのかって。 
 
中学生のころかな。好きな子に告白してフラれたんです。そのときにね。周りにそのことをからかわれたときに僕言ったんです。 
 
「もう十分傷ついてるんだから、傷口に塩を塗るようなことやめろよな。」って。 
 
いやいやいや。なに塩で味整えて、傷口を美味しく食べてもらおうとしてんだよって。 
 
こんなときに味整えて、お前全然傷ついてないじゃんって。 
 
あと、これは高校生のときかな。このときも告白してフラれたんです。でもこのときは絶対あの子お前のこと好きだからって言われて告白したんです。だから僕こう言ったんです。 
 
「おい話が違うじゃん。よくも俺の顔に泥を塗って、その上にバターをのせてレンジでチンするようなまねしてくれたな。」って。 

いやもう美味しく食べてもらう気満々じゃんって。

泥の味をバターでまろやかにしようとしてんじゃんって。 
 
泥が嫌いなお子様にも大丈夫みたいな主婦のアイデア発揮しちゃってんじゃんって。 

ほんとに俺は昔からずっと卑しいヤツだったんだなって。 

今度は大学生のころですかね。高校生のときに告白した子にもう一回告白したら案の定フラれたんです。

そのときに僕こう言ったんです。 
 
「同じ子にまたフラれちゃったよ。こんなの恥の上に恥を塗った挙句、さらにその上にチーズをのせて、アルミホイルを敷いた上でオーブンでチーズがカリカリになるまで焼いちゃったら、もうこんなの「恥の上塗りカリカリチーズのせ780円」の出来上がりだよ…。 」って。 
 
いやもう確信犯じゃん。 
 
780円って結構な値段で売り出そうとしてんじゃん。ランチじゃん。 
 
もう美味しく食べてもらおうっていう気持ちがシェフの域まで達してんじゃんって。 

思い返してみると、やっぱりなんでも美味しく食べてもらおうとしてた自分がいて。

それでこう思ったね。

美味しく食べてもらおうとしてるとか言う以前に俺フラれすぎだろ!!

2012年1月20日金曜日

頭が良い人の文章。

突然だが僕は頭が良い。

どのくらい頭が良いか普通の人々にも分かるように説明してあげるとすると、東京ドーム100個分くらい頭が良いと言えば分かってもらえるだろうか。

でも僕はそれを自慢したり、その頭の良さを利用して人を陥れたりなどはしない。なぜなら僕の頭の良さと、一般的に頭が良いとされている人の頭の良さとでは、大きな隔たりがあるからだ。

「能ある鷹は爪を隠す」と言うが、つまりそういうことだ。僕はこの圧倒的な頭の良さを、その頭の良さによって完全に隠蔽することに成功している。それほど頭が良い。

例えば、一般的に世間で頭が良いとされている人々は、良い学校に行っている人々のことを言うのであろう。頭の良い僕からしてみれば、それはとても安易な考え方で、頭の良い人が頭が良いことをアピールするなど、とても愚かで浅はかで軽はずみな行為であると言えよう。

だから頭の良い僕は大学には行っていない。高校にも行っていない。頭の良くない普通の人々にもここまで言えば理解できるだろう。そう。僕は中卒だ。そして、働いたこともない。

すべては頭が良すぎるがゆえである。おそらくこのような頭の良すぎるがゆえの僕のこのような考えは一般的に頭の良い人には、ましてや普通の人には理解しかねることであろう。

普通の人は覚えていないかもしれないが、先ほど僕は「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を使わせてもらった。しかし、頭の良すぎる僕は「爪」だけでなく「翼」をも隠さなければ、この世の中を生きて行くことができないのだ。

「能のありすぎる鷹は翼をも隠す」のである。

僕の爪からペペロンチーノは作らせない。僕の羽根から羽毛布団は作らせない。

そのような腹積もりである。

では、頭が良すぎるがゆえに仕事をしていない僕が普段何をしているのか。

散歩である。風景を楽しむでもなく、人との交流を楽しむでもなく、ひたすらに、がむしゃらに歩き続ける。

その姿はまさに、翼を隠して飛べない鷹が地面を歩き回るが如くと近所でも噂されているに違いない。僕ほど頭が良いと近所で噂されていることさえ手に取るように分かってしまうのだ。

当然、近所の人々も僕の頭の良さには気付いていない。僕のこの圧倒的な頭の良さによって完全に隠蔽された頭の良さに、気付く人間がいるはずもないのだが。

しかし、さすがにそろそろ僕の頭の良さに気付く人が現れてもおかしくない頃だ。なんせ毎日のように鷹が地面を歩き回ってるわけだから。

なのでそろそろ僕は爪、翼だけでなく、この姿をも隠そうと考えている。

大きめのバックの中に自分の姿を隠そうと考えている。

そう。

あの、エスパー伊東のように。

そして、僕はめちゃイケに出ようという腹積もりなのである。




能のありすぎる鷹は翼をも隠す

[読み]のうのありすぎるたかはつばさをもかくす
[意味]頭が良すぎて逆にバカの意。転じて、自分の持っている才能は最大限に利用すべきであるという意味でも使われる。

2012年1月9日月曜日

虎穴に入らずんば、虎子を得ず。

最近、もっと人と交流を持った方がいいなって。

なんというか、ちょっと殻に閉じこもり過ぎてるんじゃないかなって。

だから人見知りだけど、ちょっと冒険して、そういう場にでも、どんどん参加して行こうって。

やっぱりよく言うからね。昔の人はうまいこと言ったなって。

『「虎穴に入らずんば、ずんばずんば。ずんばずんばに入らずんば、ずんば、ずんばずんばならず。これ、ずんばをずんばとするに等しずんば。」

ずんばはそう言うと、悲しい顔をせずんば。

その顔ずんば、あのときのずんばずんば兄弟のようで、私ずんば、とても不安な気持ちにならずんば、そのずんばのときを思い出さずんば。

ずんばずんば兄弟ずんば、近所でも、指折りのずんばっ子で、私もよく2人にずんばを隠されずんばり、ずんばに突き落とされずんばり、とてもずんばな思いをしずんば、覚えずんばずんば。

その日も、ずんばずんば兄弟ずんば、ずんばずんば、ずんばずんばずんば。

その日はずんばが被害者として、ずんばずんば兄弟に、ずんばずんばされ、洞窟にずんばずんば。

ずんばずんば兄弟ずんば、ずんばとずんばずんばを、ずんば、ずんばずんばずんば。

そうして、ずんばずんば兄弟は、悲しい顔をしずんば、虎子を得ず。』

ってね!

ほんと、昔の人はうまいこと言うなって。

この言葉通りもっと冒険していこうと思う。

自分に甘えないで、もっと頑張っていこうと思う。自分の為にならないから。

まさに

「NASAは人の為ならず。」

ってね!


2012年1月1日日曜日

おばあちゃんっ子をアピールして好感度アップ大作戦!2

やっぱりおかしいよ今の世の中。

人が人のことを思いやれない世の中っていうか、なんというか。

前にも書いたけど、もっと考えて欲しい。他の人のこと。

っていうかおばあちゃんのこと。

僕おばあちゃんっ子なんで、本当にもっと世の中が、みんながおばあちゃんのことをもっと考えて欲しいなーって。

おばあちゃんのことを少しも考えてない行動というかね。

僕おばあちゃんっ子なんでそういうのホント許せないんですよ。

僕なんて四六時中なにをしてるときでもおばあちゃんのこと考えてる。

例えばお皿洗ってるときでも、
「あっ。俺はお皿を洗ってるけど、お皿を洗うのと同じように、誰かに洗われてるおばあちゃんもどこかにいるのだろうか。」とか。

飛行機が飛んでるのを見たときに、
「あぁ。あの飛行機の中に一体何人のおばあちゃんが積み込まれてるんだろう。」とか。

「おばあちゃんがおばあちゃんで在り続けるために、一体何人のおじいちゃんが犠牲となればいいんだろう。」とか。

「おばあちゃんAが時速20kmで出発した30分後に、おばあちゃんBが時速50kmで出発したときに、一体何分でおばあちゃんBは、おばあちゃんAに追いつくんだろう。そしてそのときおばあちゃんCからおばあちゃんFは一体何をしてるんだろう。」とか。

「ていうかどうしておばあちゃんBはおばあちゃんAを追いかけたんだろう。」とか。

「ていうか時速20kmとか50kmっておばあちゃんなんで原付乗ってんだよ。おばあちゃんBに至ってはスピード違反してんじゃねえかよ。」とか。

そういう風に、もっとおばあちゃんのこと考えて欲しいなーって。

そういう風におばあちゃんのことをもっと思うようになったら、次は

もしもおばあちゃんが危険な目に合ってたらどうしよう。そのとき自分は何をおばあちゃんにしてあげられるんだろう。

そういうことをね。もっと想像して欲しい。

もし、原付に乗って20kmくらいで走ってたおばあちゃんに突然「 人に追われてる。助けてくれ。」って言われたらどうしよう。だとか。

もし、そこにおばあちゃんが乗った原付が50kmくらいのスピードで突然そのおばあちゃん突っ込んできたらどうしようとか。

もし、そのあと、その50kmくらいで走ってた原付のおばあちゃんが、ちゃんと二段階右折で、交差点を右折して行ったらどうしようとか。

もし、50kmくらいのスピードで原付に轢かれたおばあちゃんが、 おばあちゃんに見えるおじいちゃんだったらどうしようとか。

もっと考えよう。

そんで、そのときに思わないといけない。

「一体、おばあちゃんがおばあちゃんで在るために、どれだけのおじいちゃんが犠牲になればいいんだろう。」って。

もっと考えよう。

もうおばあちゃんのことを考えるとキリがないけど、それぞれ個人個人でもっとおばあちゃんのこと考えてやってよ。

もうそれだけ…。

それだけが俺の願いなんだよ…。