2012年8月2日木曜日

名乗るほどの者ではございません


夜の街に女の悲鳴が響いた。

数人の暴漢が一人の女に襲いかかろうとしていた。

「やれやれ。面倒はなるべく避けたいが…。女を泣かせるわけにはいかないな。」

私はそう呟いた後、思い切り叫んだ。

「やめるんだ!」

数人の暴漢が私の方に振り返る。

「なんだテメェは!」

私は答える。

「なぁに。こっちの方から私を呼ぶ声が聞こえたもんでね。」

そう言うと、一人の男が私の方に詰め寄って来た。

「引っこんでろ!」

そう言うと、男はボディに蹴りを入れ、私の胸倉を掴んだ。

その刹那、私はその腕を片手で捻り上げ、その背中を突き飛ばした。

そして、私はすぐさまハンドルを切り、車を路肩に停めると、即座にギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを引くと、普通の2倍ほどの速さで、窓を閉め、ハザードランプを点けたあと、瞬間的に、後ろから車が来ていないかサイドミラーを見て、車から降りた。

そして、降りるや否や、目にも見えぬ速さで、私は先ほど蹴られた車のボディのへこみを確認した。

「良かった。キズは浅い。」

しかし、その機を狙って、先ほど突き飛ばした男が私を後ろから羽交い絞めにし、身動きの取れない私に暴漢たちが全員で襲いかかってくる。

すぐさま、後ろの男の顔めがけて、後頭部で頭突きをすることで、羽交い絞めから抜け出すと、即座に車に再び乗り込み、内側からカギを掛け、エンジンを掛け、音楽を掛けた。

車の中に鳴り響くメロディ。

私はそのリズムに合わせるように、車を発進させ、ある程度進んだところで車の方向を変える。

サビに向かって盛り上がっていくメロディとシンクロするようにスピードは急上昇し、そして、曲はサビを迎える。

スピーカーから流れるメロディを私も一緒に口ずさむ。

「ボーイミーツガール♪しあ~わせのよ~かん♪きっと誰かを感じてる~♪」

「フォーリンラブ♪ロマ~ンスの神様♪この人でしょうかぁ~♪」

サビを歌い終えると同時に、私は迷わず暴漢たちをまとめて轢いた。

総まとめ轢きである。

私は轢き終えると、車を止め、再び車を路肩に停めた。

「大丈夫ですか?お嬢さん。」

私は車から顔を出して、声を掛ける。

このあと、おそらく、この女性は私に感謝し、そして、こう言うのだろう。

「お名前をお教えいただけませんか?」

私の台詞はすでに決まっている。

「名乗るほどの者ではございません。」

そして、私は彼女に背を向け去っていく。

彼女は、それを見送りながらこう呟く。

「ロマンスの神様この人でしょうか?」と。

私は車の窓をゆっくりと開け、実際に声を掛けた。

「大丈夫ですか?お嬢さん。」

彼女は、まだ恐怖が残っているのか、固まったままである。

「お嬢さん?どこかお怪我されたんですか?お嬢さん?」

私がそう声を掛けたところで、ようやく彼女は我に返り、私の方を向いて口を開いた。

「ひっ…ひひ…人殺し~!!」

そう叫びながら、彼女は走り去って行った。

私は想定外のその言葉に驚き、逃げるように車を走らせた。

再び音楽のスイッチを入れ、音量を上げる。

大音量のロマンスの神様がそこらじゅうに響き渡る。

ドップラー効果で聴こえるそれは、一体どのように聴こえるのだろうか。

そんなことを思いながら、私は車を走らせる。

ドップラー効果により、近付くたびに高く聞こえる後ろのサイレンの音を聴きながら―。

取り調べ室で名前を聞かれた私はこう答えた。

「名乗るほどの者ではございません。」と。


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