2012年1月20日金曜日

頭が良い人の文章。

突然だが僕は頭が良い。

どのくらい頭が良いか普通の人々にも分かるように説明してあげるとすると、東京ドーム100個分くらい頭が良いと言えば分かってもらえるだろうか。

でも僕はそれを自慢したり、その頭の良さを利用して人を陥れたりなどはしない。なぜなら僕の頭の良さと、一般的に頭が良いとされている人の頭の良さとでは、大きな隔たりがあるからだ。

「能ある鷹は爪を隠す」と言うが、つまりそういうことだ。僕はこの圧倒的な頭の良さを、その頭の良さによって完全に隠蔽することに成功している。それほど頭が良い。

例えば、一般的に世間で頭が良いとされている人々は、良い学校に行っている人々のことを言うのであろう。頭の良い僕からしてみれば、それはとても安易な考え方で、頭の良い人が頭が良いことをアピールするなど、とても愚かで浅はかで軽はずみな行為であると言えよう。

だから頭の良い僕は大学には行っていない。高校にも行っていない。頭の良くない普通の人々にもここまで言えば理解できるだろう。そう。僕は中卒だ。そして、働いたこともない。

すべては頭が良すぎるがゆえである。おそらくこのような頭の良すぎるがゆえの僕のこのような考えは一般的に頭の良い人には、ましてや普通の人には理解しかねることであろう。

普通の人は覚えていないかもしれないが、先ほど僕は「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を使わせてもらった。しかし、頭の良すぎる僕は「爪」だけでなく「翼」をも隠さなければ、この世の中を生きて行くことができないのだ。

「能のありすぎる鷹は翼をも隠す」のである。

僕の爪からペペロンチーノは作らせない。僕の羽根から羽毛布団は作らせない。

そのような腹積もりである。

では、頭が良すぎるがゆえに仕事をしていない僕が普段何をしているのか。

散歩である。風景を楽しむでもなく、人との交流を楽しむでもなく、ひたすらに、がむしゃらに歩き続ける。

その姿はまさに、翼を隠して飛べない鷹が地面を歩き回るが如くと近所でも噂されているに違いない。僕ほど頭が良いと近所で噂されていることさえ手に取るように分かってしまうのだ。

当然、近所の人々も僕の頭の良さには気付いていない。僕のこの圧倒的な頭の良さによって完全に隠蔽された頭の良さに、気付く人間がいるはずもないのだが。

しかし、さすがにそろそろ僕の頭の良さに気付く人が現れてもおかしくない頃だ。なんせ毎日のように鷹が地面を歩き回ってるわけだから。

なのでそろそろ僕は爪、翼だけでなく、この姿をも隠そうと考えている。

大きめのバックの中に自分の姿を隠そうと考えている。

そう。

あの、エスパー伊東のように。

そして、僕はめちゃイケに出ようという腹積もりなのである。




能のありすぎる鷹は翼をも隠す

[読み]のうのありすぎるたかはつばさをもかくす
[意味]頭が良すぎて逆にバカの意。転じて、自分の持っている才能は最大限に利用すべきであるという意味でも使われる。

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